下野新聞2007/10/17引用
児童が4年追跡調査
栃木市の中心部を流れる巴波川。一時は「死の川」にひんしたが、児童たちの足かけ四年にわたる調査で、絶滅の恐れのあるメダカが復活していることが分かった。栃木第一小の児童は親しみを込めて「吾一メダカ」と呼ぶ。同校の大先輩で、文豪・山本有三の名作「路傍の石」の主人公の名を拝借している。
巴波川固有の遺伝子を持つ可能性もあるという。市は保護、活用に動き始めた。(川岸等)
メダカが最初に確認されたのは、2004年夏。当時、栃木第一小五年の村松樹君現・栃木西中二年が友達と市街地の巴波川で魚捕り中に、偶然「クロメダカ」を採集した。
これを契機に村松君ら仲間四人は同年、理科部顧問の中島宏和教諭の指導を受け、学区内の生き物調査を十五回実施し、県庁堀周辺で多数のメダカを確認した。翌○五年にはメダカの生息環境を克明に調べ、修学旅行先の神奈川県鎌倉市では固有形態を持つ「鎌倉メダカ」を調べたりした。
村松君らが卒業後は後輩調査を引き継ぎ、○六年以降、学区外の源流域から下流の永野川合流まで範囲を拡大、月一回の調査を重ねている。今年四月には理科部が誕生。六年生の鈴木
稚奈部長ら十四人で調査に取り組む。鈴木さんは「巴波川は汚いイメージでしたが、メダカの住む環境に戻っていて驚いた」と話す。
これまでの調査で、メダカは市街地を含め広範囲に生息。そのほか魚類のヨシノボリや、コオニヤンマ、ハグロトンボなども見られ、「かっての生物が戻りつつある」(中島教諭)という。貴重な調査結果は手作りのパネルやファイルにまとめられ、保管されている。
「吾一メダカ」は尻びれにある筋の数が通常のメダカよりも少ないという。国内のメダカは分類的には同一種だが、水系ごとに独特の進化を遂げ、固有形態を持つともいわれている。
メダカは国のレッドデータブックで絶滅危惧(きぐ)種第類に指定され、県内のメダカの生息地は現在三十カ所程度という。県内のメダカを調査する宇都宮市の「メダカ里親の会」の中茎元一事務局長は「遺伝子を守ることは重要だ。メダカは遺伝子解析が進んでおり、全県下で詳しい調査を検討したい」と話す。
巴波川は一九八四年と八七年、排水の流入などで水質全国ワースト二位で、以降、県と市による清流復活事業に取り組んできた。
児童たちの調査で貴重なメダカが確認されたことで、日向野義幸市長は「川浄化されている証明だ。
吾一メダカのネーミングもいい。子どもたちの活動を支援したい」と話す。市は吾一メダカの保護と活用策を検討する方針だ。
中島教諭は「大人では見過ごしかねないが、子どもだから発見し地道な調査がつく。メダカの存在を知ってもらい、地域の環境保全につなげたい」と話す。